横浜華僑通訊 最新2018年9月号より抜粋

目次:

バックナンバー


中華人民共和国成立69周年 中日国交正常化46周年 熱烈に祝おう!

歴史をふり返る 新中国の成立

相模湖ダム 追悼会開催

要明鶴同郷会が納涼会を開催

横浜福建同郷会 楊睦秀会長再選

京浜華厨会所 楊義智会長再選

華文教育の「新たな100年」を目指して

中国語なう

新・ハローワークの窓から

訃告


中華人民共和国成立69周年 中日国交正常化46周年
  熱烈に祝おう!

 ☆ ★ ☆ ★ ☆
国慶節祝賀行事の始まり
 横浜で国慶節祝賀活動は56年ほど前、中華学校校友生と学生による自然発生的な祝賀パレードが始まりであった。
 10月1日夕、中華街善隣門付近に三々五々集まった参加者は警官が制止するなか、「中華人民共和国万歳」と叫びながら、中華街大通りを派出所まで無届けの行進を強行した。
 当時、祝宴や演芸会などの祝賀行事はなく、そこは参加者にとって、祖国愛に満ちた元留学生の教師から学んだ、中日国交正常化前ゆえ往来のままならぬまだ見ぬ祖国への限りない愛を示す場であった。
 パレードは一時、中断されたが、中華学校校友会の強い働きかけで龍・獅子舞や民族衣装隊などを交えた華やかなパレードとして再開された。


歴史をふり返る 新中国の成立
  横浜華僑総会副会長 楊義誠


 まもなく中華人民共和国成立69周年を迎える。
 毛沢東主席が北京の天安門の楼閣上で新国家の成立を宣言した映像により、このときすでに中国共産党が率いる中国人民解放軍が国民党軍を一掃し、蒋介石一派は台湾に敗走し、すでに国内情勢は安定していた、と一部では思われているようですが、そうではありません。
 1937年以来の反侵略抗日戦争は日本軍の降伏により45年に終了した。その後46年6月に勃発した国共内戦は49年9月には最終段階を迎えた。開戦当初は国民党軍が圧倒的に優位で、緒戦で敗北と撤退を余儀なくされた。それは「2万5千里の長征」(※)に次ぐ共産党の苦難であった。
 しかし、国民党の支配地域での紙幣の大量発行による急激なインフレ、腐敗と独裁などにより国民党は国民の支持を失っていった。一方、共産党は解放区の大地主から土地を接収し、小作人に分け与える農地改革を行ったため、広く農民から支持を集め、47年中ごろから勢力は徐々に逆転されていった。
 49年9月21日中国人民政治協商会議を北平(北京)で開催し、毛沢東を中華人民共和国中央人民政府委員会主席に、朱徳・劉少奇・宋慶齢・張瀾・高崗を副主席に選出し、北京を新国家の首都、「五星紅旗」を国旗、「義勇軍行進曲」を暫定的に国歌(04年に憲法で正式に国歌として制定される)とすることなどを決定。10月1日、天安門で中華人民共和国中央人民政府の樹立を宣言した。
 この時点で国民党軍の主力は早々と台湾島に敗走していたが、いまだ華南3省と西南部3省の広範囲を支配していた。さらに50年1月10日に西南地区で新中国転覆を試みる匪賊による軍事暴動により共産党幹部や新中国支持者4万人が殺害される事件が発生すると新政府は「全国大剿匪」を展開し、53年までに国民党軍残党や地方軍閥を粛清し、240万兵を無力化した。
 新中国政府は樹立直後にソ連・ブルガリア・ルーマニア・ハンガリー・チェコスロバキア・モンゴル人民共和国・ポーランド・ドイツ民主共和国と国交を樹立、12月インド、翌年1月イギリスの10か国が承認した。今年8月にエルサルバドルと国交を樹立し、中華人民共和国を承認した国は世界178か国となった。
 「九二共識(両岸がともに『一つの中国』を堅持する原則)」のもと両岸平和統一に歩み寄りを見せた馬英九氏との良好な時代が過ぎ、独立の野望を秘める蔡英文(政権)への経済・外交などでの締め付けは国家成立後69年の月日が経ようとも両岸の統一を目指す中国国家指導部の国民に対するいささかも揺らぐことのない約束の姿勢そのものであろう。
※ 共産党率いる中国工農紅軍が1934年10月に江西省瑞金を出発してから翌年10月に陝西省の呉起鎮に到着するまでの、1年にわたる苦難の行軍を指す。


相模湖ダム 追悼会開催

 第40回相模湖・ダム建設殉難者合同追悼会が7月29日(日)、午後1時半から神奈川県立相模湖交流センター・多目的ホールで開催された。同実行委員会の主催。本会の王忠福会長が参列し、追悼の辞を述べた。
 相模湖ダムは戦時期の1940年に起工され、70年前の1947年に竣工した大規模なダムで、この工事には日本人のほか、強制連行された朝鮮人や中国人労働者が従事し、その過程で多くの死亡者が出たことが明らかにされている。
 相模湖ダム建設と強制連行の歴史を明らかにしようと努めてきた方たちがダム建設殉難者を追悼するため、毎年7月の最終日曜日に合同追悼会を開催している。

要明鶴同郷会が納涼会を開催

 広東要明鶴同郷会(陸佐光会長)は毎夏恒例の納涼会を8月20日(月)に大珍楼新館で開き、250名ほどが参加した。
 みなが毎年楽しみにしている焼き立て作り立ての焼鴨・焼肉・点心など盛りだくさんの料理でおなかを満たした後は恒例の抽選会。老若男女みな童心に帰り、たびたび大歓声に沸いた。(要明鶴同郷会青年部)


横浜福建同郷会 楊睦秀会長再選

 横浜福建同郷会は第20期役員任期満了に伴い、会員の投票により第21期20名の新役員を選出。6月21日に新役員の投票により以下の職責が決まった。      (敬称略)
顧問/林訓一・佐々木太郎
名誉会長/魏倫慶
会 長/楊睦秀
副会長/別宮浩孝・余凱
総 務/陳宜華・林英明・高谷輝和
財 務/薛隆華・蕭敬意・任賢治
福利厚生/葉於美・林道明・魏家忠
渉外企画/翁秋光・林輝恒・商増義
監事長/陳義昌
監 事/薛長安・魏賢民・林光鶴・
    林和明 
       (横浜福建同郷会)


京浜華厨会所 楊義智会長再選

 京浜華厨会所は役員任期満了に伴い理監事の改選を行なった。8月1日~15日までの受付期間に12名が立候補、11名の留任と1人の新人理事が誕生した。8月22日に新理事による第1回理事会が開かれ、楊義智会長の再選を全員一致で採択した。任期3年。第25届職責は以下のとおり。      (敬称略)
会 長/楊義智
副会長/方均・竹本清
財 務/李肇臻・余凱
総 務/呉蘭桂・梁啓成・區傳宗・城建強・張孝道(新)
監 査/鶴岡毅・堤国齢 
          (華厨会所)


華文教育の「新たな100年」を目指して 110
2018年、横浜山手中華学園は創立120周年を迎えた
「大同窓会」に校友451名

 8月17日(金)夜、横浜中華学校校友会(潘永誠会長)が主催して、母校創立120周年を記念する「大同窓会」を開催した。第1届から今年3月に卒業した第69届までの卒業生、総勢451名の校友が横浜山手中華学校6階体育館に参集した。幾世代をもまたいだ校友生が一堂に会するのは初めて。
 午後7時過ぎ、羅順英老師の司会で開会し、まず主催者を代表して校友会潘会長があいさつした。続いて張岩松校長が各届卒業生の帰校を歓迎する言葉を述べた。
 そして、本会の王忠福会長が登壇。卒業生を代表し、母校120周年にあたり、大勢の校友が母校に集ったことを喜び、乾杯のあいさつをした。
 この日の「大同窓会」に、校友会ではいろいろな飲み物とたくさんの軽食類を用意し参加者をもてなした。
 「大同窓会」の合間には、第1届から各届ごとの思い出の写真が舞台中央のスクリーンに投影された。時代とともに白黒写真がカラーに変わり、その変化は月日の移ろいを感じさせた。写真を見ながらみな旧交を温め、いつまでも語り尽くせぬ思い出話に時を忘れた。
 また、母校創立120周年を祝い、各届校友の帰校を記念し、そして母校のさらなる発展を祈念して大きな「芳騰杏壇」の文字を中央に配した全長2メートル余の用紙が用意され、そこに来場者全員が名前を書き込んだ。この巨大な寄せ書きは額に収められ、後日「創立120周年」の記念に母校へ贈られる。
 午後9時過ぎ、潘蘭英校友の伴奏で来場者全員が校歌を合唱した。最後に数百個の祝いの風船が飛ばされると、体育館内は大歓声に包まれた。祖国を讃える「歌唱祖国」を大合唱して「大同窓会」は大団円を迎えた。
 1898年に横浜で近代的な華僑教育が始まって今年で120年、「双甲子(二度目の還暦)」を祝い、横浜山手中華学園では今秋さまざまな記念行事を予定しているが、その先陣を切って校友会が開いたこの日の「大同窓会」は、空前のにぎわいをみせ、校友生に世代を越えた交流の場を提供した。
 翌18日には、同じく校友会主催で毎年恒例の聯歓会が同所で開かれ、校友生はもとより、在校生・家長・僑胞など大勢が集まった。
      (中華学校校友会)

校友会聯歓会開催

 横浜中華学校校友会(潘永誠会長)は8月18日(土)16時~20時に、恒例の「2018年校友聯歓会」を横浜山手中華学校の体育館で開催した。
 校友生・在校生・保護者や家族等とスタッフ、総勢1000人近く集まり、会場は活気にあふれた。
 ステージでは毎年恒例の在校生の舞踊・獅子舞・龍舞(中学生)、国術団の舞踊・獅子舞、そして在校生ダブルダッチ部による演技や華韵玲瓏腰鼓隊による腰鼓舞に加え、今年初参加となる学生京劇部による演技も披露され、来場者を魅了した。また会場では横浜山手中華学校家長会・熊猫幼稚園家長会・華僑婦女会がそれぞれのブースで子どもむけゲーム、物販や食品販売等を行い、校友会と学校の先生が一緒に食品販売等を行った。また張岩松校長があいさつをした際に、校友会潘会長が校友会を代表して35万円を寄付した。
 今年もみなさんの協力の下、大きな事故やけがもなく大盛況のうちに閉会した。
 最後に、抽選会に協賛してくださった中華街の店舗(校友生経営店舗)、各団体や各企業にこの場をお借りして深くお礼を申し上げます。
          (校友会)

卓球部OB・OG会 開催

 毎年恒例の横浜中華学校校友会卓球部OB・OG会(陳学群会長・21届)が7月29日(日)に開催された。午後1時より学校体育館で在校生との練習と試合を行い、この交流練習会にOB・OG18人が参加した。
 例年どおりリーグ戦を行い、その後各順位別にトーナメント戦を行い、1位トーナメント戦では、昨年まで3年連続優勝の62届・呉永康さんを準決勝で破った32届の蕭敬意さんが、そのままの勢いで優勝した。
 試合終了後、陳会長から学校卓球部に、4万円を寄付した。
 午後6時からの懇親会は中華街の三和楼で開催され、年の差関係なく盛りあがった。この形でOB会を開催して7、8年になるが、今年は、27・26届の先輩方が新たに数名参加し、数十年ぶりの思い出話におおいに花が咲いた。
 県大会個人戦出場で、この日の練習試合に参加できなかった中学3年生数名、そのうち1名が見事関東大会出場を決めたことにみな大喝采であった。
 年々、世代を超え交流を深めているOB会。気軽にご参加いただきたい。お待ちしています。
  (卓球部OB・OG会幹事・
         32届 黄巧玲) 


中国語なう 73
《夏休み番外編》
「日月火水木金土」「七曜」の話


 今回の「中国語なう」も番外編。また楽しい漢字の世界に皆さんを誘いたいと思います。今回は「七曜」に関する話です。
 曜日とは、「七曜(7つの天体)」が守護するとされる日のことをいい、曜日が循環する7日の組のことを「週」と呼びます。日本語では現在でも各曜日を日曜日、月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日、土曜日のように「七曜」の名を冠して呼びますが、ご存じのとおり中国語では「星期一」から順番に「六」まで進み、日曜日が「星期日」ですね。かつて中国でも唐のように占いのなかで日本語と同じ曜日名を使った時代があります。
 週・曜日の概念は古代バビロニアで生まれ、紀元前1世紀ころのギリシア・エジプトで完成したと考えられているそうで、古代バビロニアからさまざまな経路を経てユダヤ教徒が使ったものがそのままキリスト教徒に伝えられました。ということで、中国語「星期日」が「礼拝日」であることから、そこから派生して中国語圏では「礼拜一」から「礼拜六」までの言い方もあるのはご存じのとおりです。
 ちなみに、日本で曜日の順列を明確に定めているものにJIS規格(JIS X 0301)があり、「01‐月曜日、02‐火曜日、03‐水曜日、04‐木曜日、05‐金曜日、06‐土曜日、07‐日曜日」と規定されているそうです。そして、現在、曜日を「七曜」で表すのは日本語とハングル語圏だけになりました。
 そして、今回さらに掘り下げるのは曜日の成り立ちではなく、「日月火水木金土」の7文字についてです。皆さん、この7文字をそれぞれ2つまたは3つを上下に重ねたり、横に並列させたりすると違う漢字になりますね。なかには、ふだんあまり見かけない字もありますが。
 日→昌→晶、月→朋、火→炎→焱、水→淼、木→林→森、金→鑫、土→圭→垚。
 「火」が2つ、3つ、と重なるにつれ、見るからに燃え盛る勢いが増す感じがしますね。中国語「焱yan4」は「火花」を表し、多くは人名用字として使われます。
 中国語「淼miao3」は、水が3つ重なったかたちから、書き言葉として「水面が広々として果てしないさま」を表します。
 新疆ウイグル自治区の果物業者が数年前、「青森」によく似た「青淼(チンミャオ)」という文字にリンゴの絵柄を組み合わせて商標登録を申請した問題で、中国商標局が青森県などの異議申し立てを受けて商標登録を認めない裁定を下し、商標の無効が確定したと発表され、日本でも話題になりました。当時日本の報道では「関係者は、青森ブランドの信頼性にかかわる問題が解決されたことに安堵(ど)している。」と伝えられました。中国商標局は裁定理由に、青森が著名なリンゴ産地であり、類似した「青淼」が果物に使われれば消費者が産地を誤認する恐れがあること、を挙げていました。
 これは日本ブランドが中国商標局の裁定により守られた、という1つのエピソードですが、われわれも安易にだまされないよう、賢い消費者になりたいものですね。


新・ハローワークの窓から  117
 新婚生活は日本で

 先日、夫婦で来所したのは20代の夫婦。夫は来日1週間。求職登録をしたいという。妻は永住者、夫は永住者の配偶者。在留資格には不備はないのだが、夫は日本語も話せず、書けず、読めない。日本で働くためにこれだけはやってきた、という意気込みもなかった。区役所などで行っているニューカマーの日本語クラスを勧め、少し日本の生活に慣れてから求職活動をするよう勧めたが、生活が厳しいのですぐにでも働いてもらいたいと新婚の妻が言う。
 登録してもすぐに職を紹介できそうにないが、求職登録を断る理由はない。求職申込書を書いたのは妻で、中国の漢字と日本語の漢字が入り混じった書類を書いた。
 求人票の探し方と、応募するときに必要な書類について話す。
 妻も日本の履歴書の書き方を知らないので、履歴書の書き方の参考になるものを渡し、応募できる求人があったときにすぐ応募できるよう、早めの準備を勧めた。
 そんな大切な応募についての話をしている最中に、夫がずっといじっていた携帯でおもむろに「今中華街にいるけど何か買ってかえるものある?」と話を始めた。
 かかってきた電話に「今、話せない」と応答するならともかく、自分から電話をかけるような、こんな緊張感のなさで、仕事が手に入ると思っているのか。
 ハローワーク内では携帯電話で話すことはマナー違反で、ほかのフロア・窓口でもお断りしている。仕事の面接や職場で携帯電話をいじっているようでは、仕事は手に入らないこと、日本語はもとより日本社会の常識的なマナーを身に着ける必要性を説いた。このような状態では仕事を紹介できない。日本語ができるようになってから再来所していただくことにした。
 日本にはこのような異文化の隣人がたくさん住み始めている。
 ハローワーク横浜
 職業相談員 李 艶 薇


訃告


梁旺美女士(日本名:夏旺美、横浜中華学校13届、14届夏民慶氏令夫人、39届夏芳緑女士・44届夏芳慧女士・45届夏海鋒氏ご母堂、広東省南海、中華街「和楽」)18年7月13日に逝去されました。享年71歳。通夜・告別式は家族葬で執り行われました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。